はじめに ~運営者からのメッセージ~
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「不妊みんなの体験談サイト」サイトにお越しいただきありがとうございます。このサイトは永井さやかが運営している妊活・不妊症の情報サイトです。
不妊の体験談をメインに、人工授精(AIH)・体外受精(IVF)・卵管造影検査、不妊から妊娠されたママのおすすめ情報など、皆さまから寄せられた投稿を紹介しています。
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「不妊から妊娠を目指す体質改善コーナー」では、本気で妊娠に向けて頑張る未来のママのために、 私自身が飲んでいたルイボスティーやマカなど、不妊を改善するアイテムを紹介しています。 ぜひ参考にしてみてください。
ちょっと私のこと
「不妊」
まさか自分が経験するとは思ってもみませんでした。
結婚と同時に子作りをしよう!と本格的に思っていたわけではなく、結婚して避妊をしなければ自然に妊娠するものだと思っていました。
ただ、独身時代から生理痛がひどく、もしかすると「子宮内膜症かも・・・」と少しの不安があり、検査のため病院へ。
CA125マーカー(子宮内膜症の程度がわかる血液検査)の結果、かなりひどい状態だという事が判明。それは子宮だけではなく、腸の方へも病巣が広がっていました。
不妊治療の一貫として、子宮内膜症の手術を2度行いました。
もちろん、検査、入院、手術、術後、、と妊娠できるチャンスさえありません。
結婚から2年、焦る気持ちが強くなってくると、今度は精神的に参ってきたのです。
子宮内膜症の再発に怯えながら、本格的に不妊治療がスタートし、 人工授精を試みるも毎月訪れる生理。。基礎体温とにらめっこしながら、排卵日が本当にあっているのか、医師や治療に不信感を持つことも。
クロミッドやHMGで卵子が思うように育たなかったり、副作用によって卵巣が腫れ、数か月も治療がストップしたり、治療が思うようにいかない時は涙が止まらず、どうしようもないイライラが襲ってきては主人に八つ当たり。
人工授精も11回目となり、その間に妊娠しかけたものの5週目に流産。気持ちがジェットコースターのように振り回され、
「赤ちゃん」のこと以外、考えられない状態。毎日、不妊に良いといわれるものは片っ端からやりました。
体を冷やさないように、毎日半身浴、腹巻き、靴下、冷たいものを飲まない、食べない、大好きなお酒やジャンクフードも禁止に。(今思えばやりすぎなほど・・・)
夜に女性ホルモンが分泌されると聞けば、早く就寝するようにして、とにかく朝起きて基礎体温を測るところから、昼間の病院、気を使った食事、毎食前後に飲む漢方薬や薬。
こんな毎日ですから、忘れられるわけないですよね。
きっと、不妊でお悩みの女性たちは私とそんなに変わらない生活をされているのではないでしょうか。
週末に主人と出掛けても、心の底から楽しめないというか、不妊生活のストレスを溜めないように外出しているようで、それがまたプレッシャーというか、、外出すれば親子連れを見かけます。不妊治療中の精神状態だと、微笑ましく見れる余裕は全くありませんでした。
毎月のリセットに怯え、毎月かさむ治療費に頭を抱え、薬によって卵巣機能が悪くなる・・・
昔から仲のよい友人にすら本音は話せませんでした。後から結婚した友人がぽんっと妊娠して子供を産む現実に、まるで世界からひとり取り残されたような孤独感が、その後しばらく続く鬱病への発端だったと思います。
インターネットの掲示板で不妊同志で励ましあうこともしました。そこにいれば友人に話せないことを赤裸々に語ることができました。でも結局はその場限りというか、励ましあってるようで、ライバル関係のような、不思議な感覚でしたが、長続きはしませんでした。
体外受精にステップアップして、インターネットで色々と情報を集めては、勝手に不安になったり、妊娠判定の数日前から、「妊娠の兆候」と検索しては自分と同じような症状を探しては希望を持ったり。
その頃には不妊専門の病院へ転院し、体外受精(顕微授精も含め)5回目の採卵。卵巣機能が低下し、なかなか質の良い卵子が採れません。卵巣が腫れやすいにも関わらず、卵子は育たない。クロミッドのみの採卵にシフトし、たった1個の卵子を宝物のように育て採卵し受精させ培養する。
治療をはじめてからもう6年目に入っていました。
治療を始めたころのように、毎月ドキドキするといった感じではなくて、とにかくチャレンジしなくちゃ、と少し義務的な気持ちでした。
夫婦では、「とにかく諦めずにやるだけの事はやろう、そして最悪の場合は夫婦二人の生活でも幸せになろう」と覚悟を決めていました。
6年間も毎月リセットをしていたら、もういちいち怯えていられないというか、悲しみに慣れてくるというか、悩みながら泣いても1周期。前向きに覚悟を決めても1周期。
どちらも同じ1周期なら、自分が楽なほうがいいに決まってる。
もちろん、振り子のようにズドーーーンと落ちる時もありましたが、後者のほうに気持ちをシフトするように心掛けていました。
そこからすぐに妊娠がわかります。
それは凍結していた最後の卵子でした。
まさかの陽性でした。
本当にまさかの報告でした。
6年間の不妊治療生活に突然終わりがやってきたのです。
涙涙涙の診察室でした。
一度流産をしているので、その後も簡単には喜べませんでしたし、妊娠中にいろんなトラブルもありました。
とにかく長かった。言葉では言い表せないくらい長かった。
ここに記したのはほんの一部の経過や気持ちにすぎません。
もっと複雑で、深い絶望感と苦行とも呼べる生活を全て語ることはできません。
「涙」には何種類も種類がありますが、不妊で毎月流す「涙」は、きっと同じ体験をした者ではないと分かりあえることはないと断言できます。
皆様にとって、ここに寄せられた体験談が少しでも何かのお役に立つことを切に願います。
今はゴールが見えないかもしれませんが、必ずそれはやってきます。
だってそれを信じることが、我が子になる卵を信じるということですから。
頑張れば、頑張ったぶんだけ、幸せが何倍にもなって訪れます。
普通に妊娠するよりも何倍も輝いた未来がまっています。
心の底から皆様の幸せを祈っております。
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